神の造られたものは、みな良いものであって、感謝して受けるなら、何ひとつ捨てるべきものはない。
食物のことで、神のみわざを破壊してはならない。すべての物はきよい。ただ、それを食べて人をつまずかせる者には、悪となる。
すべて市場で売られている物は、いちいち良心に問うことをしないで、食べるがよい。
わたしは、主イエスにあって知りかつ確信している。それ自体、汚れているものは一つもない。ただ、それが汚れていると考える人にだけ、汚れているのである。
すべてのことは許されている。しかし、すべてのことが益になるわけではない。すべてのことは許されている。しかし、すべてのことが人の徳を高めるのではない。
異邦人で信者になった人たちには、すでに手紙で、偶像に供えたものと、血と、絞め殺したものと、不品行とを、慎むようにとの決議が、わたしたちから知らせてある」。
これらの偽り者どもは、結婚を禁じたり、食物を断つことを命じたりする。しかし食物は、信仰があり真理を認める者が、感謝して受けるようにと、神の造られたものである。
神が造ったすべての物を見られたところ、それは、はなはだ良かった。夕となり、また朝となった。第六日である。
主は岩であって、そのみわざは全く、 その道はみな正しい。 主は真実なる神であって、偽りなく、 義であって、正である。
それは、偶像に供えたものと、血と、絞め殺したものと、不品行とを、避けるということである。これらのものから遠ざかっておれば、それでよろしい。以上」。
すると、声が二度目にかかってきた、「神がきよめたものを、清くないなどと言ってはならない」。
日を重んじる者は、主のために重んじる。また食べる者も主のために食べる。神に感謝して食べるからである。食べない者も主のために食べない。そして、神に感謝する。
地とそれに満ちている物とは、主のものだからである。
もしわたしが感謝して食べる場合、その感謝する物について、どうして人のそしりを受けるわけがあろうか。